その後も全日本5位,3位と順位を上げていくが、やがて壁に突き当たる。
そこで、かねてから考えていた英国へのダンス留学を決行しました。
1972年の秋、1ポンド860円の時代です。
今は170円位ですから世の中変われば変わるものです。
「自分が今まで踊っていたのは何なのか?と思いました。
それほど肌で感じた彼等の踊りは違っていたのです」と洋子は言う。
自信を失い、一時はダンスがめろめろになった。
そしてイングリッシュ・スタイルの踊りを体得するために、
それまでの自分達の踊りを一度つぶして再構築しなければならないことに気付く。
朝の5時過ぎから練習をする彼等にコーチャーや選手たちは、”クレイジーだ”と驚きましたが、
当時のラテンの世界チャンピオンであったアラン・フレッチャーは、
ヒロの胸までが足というくらい容姿に恵まれている。
日本人体型の弘忠が普通の努力をしたぐらいでは、追い越せるはずもありません。
17ケ月もロンドンにいながら観光さえ惜しんでダンスだけを見つめた。
ヒロ&ヨーコはお互いにダンスを始めた時からチャンピオンになることが夢でしたし、
チャンピオンになれば必ず幸せになれると思っていました。