オーナーからメッセージ

ダンスの土台を作るべーシックステップはダンスの命

べーシックステップは、ダンスの基本です。ダンスの基本とは、ダンスの土台を意味します。
土台は、どんな役割を果たしてくれるのでしょうか。家に例えるならば、大黒柱こそ土台です。
大黒柱がしっかりしていなければ、いくら外壁や内装を飾っても、
ちょっとした地震や大雨に脆くも崩れてしまうことでしょう。
また、大地にしっかり根を下ろした草花を思い浮かべてみてください。
多少の風に吹かれても、たくましく天に向かって伸びていこうとする力強さがあるはずです。
切り花は鉢植えの花に比べて命が短いように、あらゆる物事のべーシック(土台)は、あらゆる物事の礎の役割を果たします。
土台を疎かにすることは命取り。もちろん、ダンスのべーシックステップについても同じことが言えます。
皆さんの中にはべーシックステップの勉強を卒業して、バリエーションの練習に励んでおられる愛好かも多いことでしょう。
華トやかなバリエーションが踊れるとあって、張り切ってレッスンを受けると、バリエーションは踊らせてもらえず、
べーシックステップばかり練習させられてがつかり・・・、なんていう話をよく耳にします。
しかし、べーシックの練習に戻ったおかげで、バリエーションがスムーズに踊れるようになった方も多いはず。
何故ならば、バリエーションの土台はべーシックにあるからです。
べーシックステップの練習に卒業という文字はありません。
ダンスは、ベーシックに始まり、ベーシックに終わると言っても過言ではありません。
バリエーションとは、大地にしっかり根を下ろした木に、枝葉をつける作業です。
グラグラした細い木に枝葉をつければ、木はバランスを失って倒れてしまうことでしょう。
木の根幹をしつかりさせれば、枝葉をつけることはたやすい作業です。
ダンスも同じ。 バリエーションが上手く踊れないのは、べーシックに問題があるからに違いありません。
べーシックを正せば、驚くほど簡単にバリエーションが踊れた・・・、そういった例は数限りなくあるのです。
「バリエーションは、べーシックステップをディべロップ(進展)させたもの。」
私たちの師匠、ニーナ・ハント女史は私たちにこう教えてくれました。

相手との関わりをマスターできるかが鍵

べーシックステップをマスターするには、どうしたらよいのでしょう。
皆さんの中には、ダンスの教科書を読んだことがある方も多いと思いますが、
教科書通りに踊れることが、べーシックステップをマス夕ーしたことになるのでしょうか。
教科書には、それぞれのべーシックステップの足の位置、回転量、アライメント、カウント、
タイミング、フットワークなどが書かれてありますが、ダンスで最も大切なのは、相手との関わりです。
その関わりのリード&フォローについては、どの教科書にも書かれていないのが現実です。
ダンスは、教科書通りにステップできれば良いというものではありません。
二人で一つのものを作り上げるダンスにおいては、相手との関わり抜きにはマスターすることは出来ないのです。
ダンスも運動であることは皆さん周知の事実です。
テニスならラケットと身体の位置、ハンマー投げなら、ハンマーと身体の回転の仕方、
そして、ダンスなら、自分のボディが相手とどういう関連を作るかが最も重要な要素になります。
モダン種目もラテン種目も、足型よりも大切なのが、相手との関わりであり、手のコネクションであり、
その関わりがべーシックステップをマスターする鍵となるのです。

べーシックと共に歩んできたダンス道

私たちが初めて踊ったべーシックルンバ(デモ)のグループは、ドリス・ラべル女史が作ってくれたものでした。
あの世界ラテンチャンピオン、ウォルター・レアードの師にあたり、キューバに渡ってキューバンルンバを作り上げ、
近代ラテンダンスの生みの親であるフランス人、ムッシュ・ピエール氏の名パートナーであった人です。
私たちはそのべーシックのグループを「オーセンティックルンバ(真のルンバ)」と呼んで、大切に踊ってさました。
その当時、全国各地のパーティでデモを披露してきましたが、アンコールには必ず、べーシックルンバを披露したものです。
ルンバのべーシックステップは24しかありません。その中にルンバの魂が凝縮されているのです。
私たちは、誰にも負けない練習量でべーシックを踊り込んできたからこそ、
1975年、全日本ラテンチャンピオンになることが出来たと思っています。
そして、全日本戦のモダン部門でもファイナルに入ることが出来た時、初めて渡英を決意しました。
当時は、ファイナリストにならなければ渡英することは許されませんでした・・・。
英国では、二ーナ・ハント女史に師事し、それこそ1からべーシックを勉強し直しました。
たった3歩のべーシックステップも、彼女は決して妥協を計さず、その3歩だけをー時問、鏡の前で練習させたあげく、
彼女の出した答えはノー」・・・。悔しかった・・・。
青春の全てをダンスに賭け、子供の頃から「世界チャンピオンになる」という大きな望みを持ち続けてきた私にとって、
たとえ結果が出せなくても悔いは残らないと断言できるほど、ベーシックに取り組みました。
それが認められ、ブラックプールで行なわれる講習会では、日本人で初めてニーナ・ハント女史のモデルに選ばれたのです。
1977年のことでした。そこで私たちは、世界のダンス人を前に二ーナ女史が作ったべーシックルンバを踊りました。
するとどうでしょう。観衆が総立ちで拍手してくれたのです。「そのべーシックルンバを全英の本戦で踊れば、
ルンバだけは必ず優勝できる」と、さまざまな人にアドバイスされたのですが、
勇気がなかった私たちはバリエーションで勝負しました。結果は総合3位。
その10年後、同じニーナ女史の弟子であるサミー・ストップフォードがべーシックルンバで勝負し、ルンバのみ、
ドニー&ゲイナーに勝つたという伝説を残しています。私たちの良き友人でもあるドニー&ゲイナーは、
日本に来ると、私の六本木のスタジオでよく練習しました。
ある日のこと、ルンバのべーシックを黙々と練習する二人を見るともなしに見ていると、
べーシックだけを3時間ぶっ通しで踊り込んでいました。彼らが世界チャンピオンになって10年目のことです。
べーシックというものが、いかに奥が深く、一生かかっても100%完璧なステップを踊ることは出来ないということが、
彼らのエピソードからも実感できます。私たちは、30年近くべーシックルンバのデモを披露してきました。
私たちが踊るべーシックデモを見て、多くの方が感動の涙を流してくれました。
華やかでトリッキーなアクションのないべーシックステップの中に、ダンスの魂を込めて踊るべーシックルンバ・・・。

皆さんも、もう一度ベーシックに帰ってみませんか?